2011年6月30日午後20時30分ごろ、携帯が鳴った。
見ると田舎(宮崎)に住む87歳になる母からの電話!
受話器を耳に当てると、いつもとは違う異様な雰囲気で
「オラあんべ(具合)が悪!」と低い声で言ったかと思うと
そのあとの私の問いかけには一切答えず、しばらくすると電話は切れた。
同じ敷地内には兄夫婦が住んでおり、私たち3人兄弟にはいつでも連絡が取れるようにと、携帯のらくらくホンをわたしてあったのだが,
具合が悪いのにこんなに遠く離れた私に電話してくるなんて!
胸騒ぎがした。
すぐに兄の携帯に連絡をする。
あわてた様子の兄が「わかった」と言ってすぐ電話は切れた。
何時間不安な時間が過ぎただろうか…
兄から連絡が入ったのは明け方だった。
かかりつけの医師から救急車で医師会病院に運ばれたとのこと。
意識はあるが返事をしないとのこと。
医師は「胆石」だと言っているとのこと。
胆石?痛みの訴えもなく、急に意識がおかしくなり
医師からは命が危ないとの言われたという!
え?なんで?
訳が分からぬまま、あくる日の飛行機に飛び乗り帰省した。
私が病院についたときは、すでにい何本もの管をつけられ、意識は戻っていたが
まだ目はうつろであった。
苦しいらしくて、私の顔を見てもほとんど表情を変えず、宙を見据えていた。
兄や妹たちは医師からの説明が理解できず、私に「もう一度聞いてくれ」と言ってきた。もちろん私も状態を知るためにそうしたいと思っていた。
担当医は表情は変えないが誠実に淡々と答えてくれた。
総胆管が胆石のために閉塞し、急性胆管炎の状態であること、このままでは50%の確率で命に係わること。十二指腸から胆管まで管を入れて胆汁を体外に出す必要があること(これはもうすでに入れられていた)
敗血症の危険が高く、高齢でもあり予後が非常に心配された。
敗血症の危険を脱したら胆嚢切除、総胆管結石の排除術をする必要とのことであった。
ドレナージと抗生剤のおかげで命の危機を脱した母は腹腔鏡による胆嚢摘出術をおこなうことになった。
手術室に向かう母は、ストレッチャーに乗せられてからも「入れ歯」のことを非常に気にしていた。歯のない姿(部分入れ歯であったが)を見られたくないようであった。
「こんな状態になっても、そんなことを気にするんだ」と、ある意味感心した。
手術が終わり、集中治療室に戻ってきた母は「胸が苦しい、胸が苦しい」と訴え続けていた。
しかし、看護師として見た私の感じでは、モニターには変化がなく特に心配する状態ではないと感じた。
母が訴えていた症状は、たぶん腹腔鏡の手術時に炭酸ガスを腹腔内に大量に注入されたことによる症状だと思われた。
その日の母は、全く視線を合わせず、宙を見つめて緊張の限界にあったようだ。
おそらく、自分は死ぬだろうという恐れと、なぜこんなことになったのかという思いだけにとらわれていたように感じた。
今おかれている状態と、手術はうまくいったこと、胸の苦しいのはだんだん取れてくることなど、その都度耳元で伝えた。
2017年4月26日
あれから丸5年になる。母はすっかり元気になったが、足が弱ったのとずっと世話をしてもらったことで、すっかり甘えが出て自分では一切何もしなくなってしまった。
昼は自分でつえをついてトイレに行っているが、時々失敗もある。
夜はポータブルトイレを置いて自分で何とかできている。
筋力が落ち、自分で着替えができない。食事もすべて刻み食、でも食欲旺盛、私より食べる。食事以外はほとんど寝ているが、昼はテレビの前に陣取り全く動かないので掃除や片付けが大変!
夜は7時から朝6時半まで布団にいる。
テレビはつけているだけでほとんど眠っているだけ、しかし耳が遠いために大音量でつけているので、こちらが騒音性難聴になりそう(泣き)